あれとかそれとかあいまいにかく
ヴァルプルギスの夜っすね。日にちを知っているというだけで、なにかするわけではないし、寝る前に写真撮っただけ。もちろん月を綺麗に撮る方法など知らない。左下の明るい星は木星らしい。
こういう、突然何言ってるの?的な日記を書いているということは単に「ネタがないんだな・・・」と常連さんならお気づきかと・・・。
覚書と言い訳しつつお庭グリーンネタを書いている時点でかなり困っては、いるんですけどね。
最近、人の感情に種類があるのは知っているけれど自分のものにできていないひとのお話を読みました。正確には、一通り持ち合わせているけれど、その感情に名前を付けてくれるひとがいなかったからわからないという感じでしたが。
わたしも似たようなことがひとつあったわ~と、10数年ぶりに思い出しました。
他人の「それ」と、自分の中にある「これ」は、同じ感情なのかも知れないけれど、わたしは自分の「これ」を一般に使われているその言葉で表現したくないのです。しっくりこないのです。自分の言葉ではない気がするのです。
だから人が言っている意味もわかるし共感もできるんだけど、自分の中からその言葉を発することは一生ないだろうなって。無理に言っても嘘になるし。(文字にもしませんよ、きっと)
自分の中に「それ」がないことについて考えた頃もありましたけど、ないからと言って他人に迷惑をかけるでもなく、生きにくいわけでもなく、もしそれで人間関係が破綻したりするのならばそんな人とは仲良くしなければいいしな~というところに着地。
自分の中にないものはない!と放置して数年後、そのことについて書かれているらしい本があると新聞でチラっと見たときにメモっていたのを最近やっと図書館で借りました。(携帯にメモって数年経ってるかと)
山本夏彦 著 「つかぬことを言う」 という本でした。初版が1980年なので話題が古いんですが、わたしには、するっと読みやすい本でした。コラム集になるのかな。この人とは気が合いそう。
普段、うちでニュース見ながら家族と話しているようなことが書かれていました。つまり一般的にはキツイのかも知れない。うちでは普通。
仲の良い友達になら話せるけど、ちょっと知り合いな人には冷たいとかキツイとか言われそうなのでやめとこう・・・と思うくらいの内容ですかね。
テレビで毒舌とか言われている人を、そうとは思わないもんね。本当のことを言ってるだけだし、きれいごと言ってる人より、ずっと親切だと思うよ。
で、肝心な知りたい「あれ」については、<日本語としての歴史が浅いからしっくりこないんだろう>という答えでした。
わぁ、なんか音楽がフェードインしてきたよ。 ♪~ 流行りが好きだったり そのわり古風なとこあったりするのね(山崎まさよし セロリより)
あ~。わたしの中身が古かったのか・・・じゃ、仕方がないね。(40年近く前の本に「お前は古い」と言われるのはどうかと思うが・・・悪いことだとは書いてなかった♪)
さらに似たようなことで、体の痛みを表現する言葉について、子供の頃からずっと思っていたことがあります。
キリキリ痛いとかシクシク痛いとか言うけど、あなたのキリキリとわたしのキリキリは同じなのか?と。
まぁ痛みについては、個人差があって少しくらいなら痛いうちに入らない人や、少しがめちゃくちゃ痛い人もいますよね。
同じ病気だから同じくらい痛いかと言えば人それぞれだしな~。
よくよく考えれば、どこが痛いかが重要なのであって、お医者さんは参考程度に痛みの度合いを聞いてるんじゃないかなぁと思わなくもない。
有名な、バットで殴られたような・・・って表現も、殴られたことがないからわからんし・・・実際、そうなったら「あぁ、これか!」と思い出しながら、のたうち回るんだろうか・・・ないだろうな、語彙が少ないから「めっちゃ痛い!」とかしか言えんだろうな。
そんなことばかり考えて生きてきたから、大人になった今でも病院に行ったときに、うまく表現できません。(面倒臭い人間だな)